Coachella生配信に見る Jack White と The Strokes その対比

コラム

音楽好きにとって、4月の2週にわたって全世界に生配信されるCoachellaを週末に釘付けで楽しむことは、もはや恒例行事になりつつある。自分はそこまで熱心というわけではないが、複数ステージ分のチャンネルをザッピングしながらちらちら気にしていた。

The xxの復活ステージに心躍らせ、Dijonの、まるで舞台上で緻密なレコーディングを行いながら虚空に向かって歌いかけるようなパフォーマンスも素晴らしかった。

ヘッドライナーのサブリナ・カーペンターとジャスティン・ビーバーのステージも大変興味深く見た。サブリナは豪華絢爛なセットと演出で完璧なポップアクトを提示しながらも、どこか“過去のハリウッド的な栄光”を想起させる二面性を感じさせる構成で見事だった。

一方のジャスティン・ビーバーは、極めてシンプルなステージに一人で立つ構成。近年の内省的な作風とも通じるパフォーマンスは先日のグラミー賞でのパフォーマンスでも下着姿で弾き語るという印象的なもので、その流れを引き継いだものと言えるだろう。中でも話題になったのは、ステージ上でYouTubeを開き、過去のヒット曲を自ら再生しながら歌う、いわば“YouTubeカラオケ”の演出。彼の今までのキャリアやネットで私生活も含め散々消費されて来た経緯を考えると示唆的でありながら、同時にファンの期待にも応える巧みなバランスだった。

3日目のKarol Gはリアルタイムでは見られなかったが、後からアーカイブで確認した限り、ラテンポップの存在感を強く示す堂々たるヘッドライナーぶりだった。

ここで触れたいのは、直前にサプライズ発表されたジャック・ホワイト、そして同日ジャスティン・ビーバーの前に登場したThe Strokesについてだ。

2000年代初頭のロックンロール・リバイバルに強い影響を受けた自分としては、2026年に共に大御所になり同じフェスに出演し、それぞれ最高のライブを披露していること自体が感慨深い。そして何より興味深かったのは、その対照的なあり方だった。

ジャック・ホワイトは、どこからどう見ても圧倒的に“かっこいい”。完璧な演奏でステージを掌握し、The White StripesやThe Raconteursの楽曲も惜しげなく披露。バックバンドも含め、超一流の演奏力でブルース/ガレージのダイナミズムを叩きつける、隙のないステージだった。

対するThe Strokesは、最高の瞬間と、絶妙に力が抜けるよう瞬間が同居する不思議な印象を放っていた。演奏自体は極めてタイトで、リズム隊の堅実さと、性質の異なる2本のギターが生み出すうねりはまさに彼らならではのものだ。

その上に乗るジュリアン・カサブランカスの歌とパフォーマンスは、強烈だ。あのディストーションの効いた声での熱唱、そして絶妙に力が抜けてだらしない瞬間がいくつもあり、見た目の変化も含めて、まあなんと言うか、ちょっとダサい。そう、最高の瞬間も笑っちゃうような瞬間も、良くも悪くもジュリアンという感じで、やはり底抜けに楽しく変なバンドで最高なのだ。

かつてのThe White Stripesにおいては、メグ・ホワイトの持つある種“抜け”とジャックの鬼気迫る表現の対比が魅力だった。現在のジャック・ホワイトのステージには、その“ゆるさ”はほとんど存在しない。それは決してマイナスではなく、むしろ完成度の高さとして昇華されているのだが、対照的にThe Strokesがいまだに愛され続けている理由が、今回の対比から少し見えた気がした。
どちらが優れているという話ではない。そもそも全く異なるタイプのアーティストだ。ただ、デビューから25年以上を経てなお、両者が最前線で輝き続けている事実には様子に嬉しくなる。

ジャック・ホワイトはステージの去り際に「ストロークスとGeeseを観よう」と言っていた。Geeseもまたルーツ・ロックを基調にしながら強烈な熱量を放つライブを披露していた。同じ日にはRoyel OtisやTurnstileも観客を熱狂させていた。

新しい物語は、すでに始まっている。

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